2012-03-14

脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(9)宇沢弘文

現代は市場原理に基づく経済システムが実体経済から遊離(バブル化)して、経済は崩壊の危機に陥っています。この経済システムに、過去〜現在に至るまで異議を唱えてきた経済理論家たちがいます。このシリーズではそれらの理論家の思想や学説を改めて見つめなおし、次代の経済システムのヒントを見つけていきたいと思います。
 
前回は、グローバリズムから食・農業・種子を守るため精力的に発信しているヴァンダナ・シヴァ女史を取り上げました。
 
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(8)ヴァンダナ・シヴァ
 
今回は、市場原理主義に席捲された世界経済を痛烈に批判する日本人経済学者、宇沢弘文をとりあげます。シリーズ第3回にも登場した経済評論家、内橋克人氏との対談『始まっている未来 新しい経済学は可能か』からの引用を中心に、宇沢氏の思想を紹介します。

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◆人物紹介
宇沢氏は1928(昭和3)年、鳥取県米子市に4人兄弟の次男として生まれます。宇沢家は代々米屋を営み、大工の祖父、農家生まれの父とも宇沢家の婿養子という母系家族でした。3歳の頃、小学校教師だった父親の転職で東京に居を移します。
 
太平洋戦争を経て1951(昭和26)年、東京大学理学部数学科を卒業。数学者としての将来を嘱望されますが、その頃、日本の代表的なマルクス経済学者である河上肇のベストセラー「貧乏物語」に出会い、経済学に転身します。
 
1956(昭和31)年、スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ渡米。その後、スタンフォード大学、カリフォルニア大学、シカゴ大学の経済学部で教職を歴任、数理経済学の分野で世界的な業績を上げました。
 
1968(昭和43)年に帰国。1989年まで東大の経済学部長を務め、その後も新潟大学、中央大学、米国科学アカデミー、国連大学など経済学の学術畑を歩んできました。最近では、森田実氏らも世話人になっている「TPPを考える国民会議」の代表世話人を務めるなど、83歳の現在も精力的に活動を続けています。
 
宇沢氏の経歴の中でも注目されるのは、1964年〜のシカゴ大学時代です。
米国で優れた業績を積んだ宇沢氏は、シカゴ大に全米から優秀な大学院生を招いてワークショップを主宰し、一流の経済学者を何人も育てました。「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」などの著作で知られ、現在、世界で最も影響力ある経済学者の一人とされるジョセフ・E・スティグリッツも宇沢門下生の一人です。

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左:シカゴ大学/右:ジョセフ・E・スティグリッツ

その一方で、市場原理主義、新自由主義、その背後にあるパックス・アメリカーナ(※)に対する宇沢氏の強い危機意識が形成されたのも、ここシカゴ大学での経験でした。
(※)パックス・アメリカーナ:超大国アメリカの覇権=一極支配により平和が形成されるという考え方。
 
◆市場原理主義者たちの狂気
シカゴ大学は、90人近いノーベル賞受賞者を輩出していることで知られますが、一方でマンハッタン計画やベトナム戦争で使用された枯葉剤の開発にも深く関わっています。設立者は初代ジョン・D・ロックフェラー。その本質は、金貸しの世界支配のための中枢教宣機関だと言えます。そして、宇沢氏が在籍した1960年代には、現在の世界経済の主流となったマネタリズムを初めて提唱した、市場原理主義の教祖ミルトン・フリードマンがいました。
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ミルトン・フリードマン

宇沢氏は、フリードマン一派の行動や発言、思想性に直に触れる体験を通して、彼らが提唱し、やがて世界を席巻してゆく新自由主義、市場原理主義に対する危機感を強く持ちます。本書の中にも市場原理主義者たちの狂気を示す生々しいエピソードが散りばめられています。

宇沢 1960年のベトナム戦争で、アメリカが膨大な財政赤字と貿易赤字、インフレーションという三重苦に悩まされた結果、固定相場制を放棄するというニクソン・ショックの過程で、ミルトン・フリードマンをリーダーとする市場原理主義者たちが大きな影響を世界中に持つようになっていきます。
 市場原理主義が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴ・デ・チレ大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。ピノチェのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にアジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行するわけです。銅山を例外として、国営企業は全て民営化され、金融機関は原則としてアメリカの金融機関の管理下に置かれた。チリの企業は所有関係について外国人と内国人の区別をしてはいけない。労働組合は徹底的に弾圧してつぶす。その過程で、秘密警察を使って反対者たちを粛清する。ピノチェ政権の下で秘密警察によって虐殺された人は、政府の発表では数千人ですが、実際には10万人近くに上るといわれています。シカゴ大学での私の学生や友人で、そのころ行方不明になった人が何人もいます。
〜中略〜
宇沢 実は、1973年9月11日、私はシカゴにいました。あるパーティに出ていましたが、アジェンデ虐殺のニュースが入ったとき、フリードマンの流れをくんだ市場原理主義者たちが歓声を上げたのです。私は以後一切シカゴ大学とは関係しないと心に固く決めました。
(『始まっている未来 新しい経済学は可能か』p.15-16)

選挙で合法的に選ばれた社会主義政権を武力転覆したこのチリ・クーデターにおいて、CIAを指揮したのが、当時の国務長官ヘンリー・キッシンジャーです。その後、市場原理主義は、キッシンジャーの弟子中曽根康弘を通じて日本にも伝播していきます。
 
自らの縄張り拡大のためには手段を選ばない市場原理主義の根本に、どのような精神性が横たわっているのか。宇沢氏はシカゴ大時代のフリードマンのエピソードから、その本質を抉り出します。

宇沢 フリードマンの市場原理主義は、経済学とは言えない一種の信念ですね。いまのアメリカの置かれている大惨事は、そこに原点があると思うのです。
〜中略〜
 フリードマンの主張を思い出すままに、いくつか挙げておきましょう。いずれも市場原理主義の考え方を鮮明に現しています。じつは、この点にフリードマンはすぐれた能力を持っていて、日常的な問題を巧みにとらえては、絶えず、市場原理主義のゴスペルを伝道しつづけたのです。
 1964年リンドン・ジョンソンとバリー・ゴールドウォーターが大統領選を争っていたときに、ゴールドウォーターはベトナムで水素爆弾を使うべきだと主張して、「何百万もの人たちが命を失い、社会も自然も壊れてしまう」とものすごい反発にあう。そのとき、フリードマンは一人立ち上がって、ゴールドウォーターを全面的に支持したのです。そのときのフリードマンの言葉が、「One communist is too many! 自由を守るためには、共産主義者が何百万人死んでも構わない」(同p20-22)

 麻薬の規制にも反対して、こう主張しつづけていました。「麻薬をやる人は、麻薬をやったときの快楽と、麻薬中毒になったときの苦しみとを比較して、麻薬をやったときの快楽の方が大きいと自ら合理的に判断して、麻薬をやっているのだ。決して、麻薬を規制して、個人の選択の自由を制限してはいけない」
 当時、黒人問題がようやく社会問題になりつつありましたが、ある時、フリードマンがワークショップでレクチャーをした。「黒人問題は経済的貧困の問題だ。黒人の子どもたちは、ティーンエイジャーのときに遊ぶか勉強するかという選択を迫られて、遊ぶことを自らの意思で合理的に選択した。だから上の学校に行けないし、技能も低い。報酬も少ないし、不況になれば最初にクビになる。それは黒人の子どもたちがちゃんと計算して遊ぶことを合理的に選択した結果なのだから、経済学者としてとやかく言うことはできない。」そのとき、黒人の大学院生が立ち上がって、こう言ったのです。
“Professor Friedman,did I have a freedom to choose my parents?”
内橋 「私に両親を選ぶ自由などあったでしょうか?」と問う、鋭い、胸を衝く反論ですね。(同p23-24)

近代経済学には“個人は必ず自らの効用を最大化するよう自由に判断し行動している”ことを大前提とする「合理的選択理論」という理論があり、これが市場原理の基盤になっていますが、それがいかに非現実的な詭弁であるかが、フリードマンの言動から分かります。2000年代に入って日本でも盛んに「自己責任論」という考え方が喧伝されましたが、もとを辿れば、こうした過激な個人主義・弱肉強食を正当化する思想に過ぎないのです。
 
◆パックス・アメリカーナの植民地となった日本
新自由主義・市場原理主義の波はやがて日本にも押し寄せます。宇沢氏は、現代の日本は米国の属国どころか植民地に成り下がっており、日本の官僚たちがパックス・アメリカーナの“走狗”となってしまっていると指摘します。その一つの象徴的な出来事として挙げられているのが、1980年代のプラザ合意〜日米構造協議です。

宇沢 日本の場合、占領政策のひずみが戦後60年以上残っている。アメリカの日本占領の基本政策は、日本を植民地化することだった。そのために、まず官僚を公職追放で徹底的に脅し、占領軍の意のままに動く官僚に育てる。
〜中略〜
 ポスト・ベトナムの非常に混乱した時代を通じて、アメリカは経常赤字、財政赤字、インフレ—ションの三重苦に苦しんでいたが、とくに対日貿易赤字解消に焦点を当てて、円安ドル高是正を迫ったのが、1985年のプラザ合意でした。しかし、その後も、日本企業は、徹底的な合理化、工場の海外移転などによって高い国際競争力を維持しつづけて、アメリカの対日貿易赤字は膨らむ一方だった。そこでアメリカ議会は「新貿易法・スーパー301条」を制定した。これは、もっぱら日本に焦点を当てて、強力な報復・制裁措置を含む保護政策の最たるものです。
 それを受けて、1989年7月に開かれた日米首脳会談で、パパ・ブッシュ大統領が宇野首相に迫ったのが、「日米構造協議」の開催でした。それは、 アメリカの対日貿易赤字の根本的な原因は、日本市場の閉鎖性、特異性であるとし、経済的、商業的側面をはるかに超えて、社会、文化など含めて日本の国のあり方全般にわたって「改革」を迫るものでした。
 日米構造協議の核心は、日本のGNPの10%を公共投資にあてろという要求でした。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために 使ってはいけない、全く無駄なことに使えという信じられない要求でした。それを受けて、海部政権の下で、10年間で430兆円の公共投資が、日本経済の生産性を高めないような形で実行にうつされることになったわけです。その後、アメリカから、それでは不十分だという強い要求が出て、1994年にはさらに200兆円追加して、最終的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないように行うことを政府として公的に約束したのです。まさに日本の植民地化を象徴するものです。
 ところが、国は財政節度を守るという理由の下に地方自治体に全部押し付けたのです。地方自治体は地方独自で、レジャーランド建設のような形で、生産性を下げる全く無駄なことに計630兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済は地方交付税交付金でカバーするという。
 ところが、小泉政権になって地方交付金を大幅に削減してしまったため、地方自治体は第三セクターをつくったものは多く不良債権化して、それが自治体の負債となって残ってしまったわけです。630兆円ですからものすごい負担です。その結果、地方自治体の多くが、厳しい財政状況にあって苦しんでいます。日本が現在置かれている苦悩に満ちた状況をつくり出した最大の原因です。(同p41-45)

現在の国の借金だけでなく地方の借金も、元々は国が米国の意を受け、地方を騙して押し付けたものだったのです。中曽根政権時代に持ち込まれた対米従属路線は小泉政権でさらに強まり、日本をズタズタにしていきます。現在、宇沢氏が米国主導のTPP政策への反対運動に身を投じているのも、自らの豊富な経験から、甘言の背後にあるアメリカの本当の狙いと、そのやり口が身に沁みて分かるからなのでしょう。
 
◆社会的共通資本(Social Common Capital)という考え方
宇沢氏は、社会全体にとって必要な環境や資源が、市場原理によって破壊されるのを何とか防ぐことができないか、思索を開始します。そこで1990年代に提唱したのが、「社会的共通資本」という概念です。

社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置を意味する。社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められるような稀少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。
 社会的共通資本の具体的な構成は先験的あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、そのときどきにおける自然的、歴史的、倫理的、文化的、経済的、社会的、技術的諸条件に依存して決められる。(同p.153)

社会的共通資本は『自然環境』、『社会的インフラストラクチャー』、『制度資本』の大きく三つに分けられると宇沢氏は考えています。

 自然環境は、山、森、川、湖沼、湿地帯、海、水、土壌、大気など多様な構成要因から成り立っている。これらの自然環境は、人間が生存するために不可欠なものであるだけでなく、人々の経済的、文化的、社会的活動のために重要な機能を果たす。
 社会的インフラストラクチャーは 〜中略〜 具体的には、道路、橋、鉄道、上・下水道、電力・ガスなどから構成されている。これらの社会的インフラストラクチャーの構成要素は、それぞれの機能に応じて、公的、私的いずれかの所有形態をとる場合がある。
 制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政、出版、ジャーナリズム、文化などさまざまな制度的要素から成り立っている。お寺、神社、教会ももちろん重要な社会的共通資本である。そして都市や農村もまた、社会的共通資本と考えることができる。
 自然環境、教育、医療をはじめとして、重要な社会的共通資本が安定的に維持・管理され、そのサービスが社会正義に適ったかたちで国民の一人一人に供給されるような制度の実現を目指すことが、経済学者が直面する最大の課題の一つであるといってよいであろう。(同p.154)

社会的共通資本を考えるに当たってとりわけ重要な視点が、その維持・管理の主体・方法です。宇沢氏は、市場原理主義はもちろん、嬉々として対米従属を続ける日本の役人のように、権力に容易に懐柔されてしまう官僚任せもダメだと考えます。

 このとき、とくに留意しなければならないことがある。それは、社会的共通資本の管理・維持はあくまでも、それぞれの部門について、密接な関わりをもつ生活者の集まりや職業的専門家集団によって構成されるコモンズとしての立場に立ってなされなければならないということである。決して官僚集団によって官僚的な規準に基づいて管理されるものであってはならないし、また、儲けることを最高の規準に位置づける市場原理主義的な立場に立つものであってはならない。(同p.153)

社会的共通資本は、基本的にはペイしないし、決して儲けを求めてはいけない。社会的共通資本に携わっている人々は職業的な知見と規律を保って、しかし企業として存続しなければならない。原則赤字になるものを支える制度をつくるのが政府の役割です。(同p.73)

宇沢氏の言うコモンズという概念は、どのようなものでしょうか。

コモンズというものは世界中のいたるところに歴史的あるいは伝統的な形でさまざまな分野にあります。コモンズは必ずしも特定の組織なり、 形態をもつのではなく、社会的共通資本としての機能を十分生かせるように、ある特定の人々の集団が集まって協同的な作業として社会的共通資本の管理や運営をしていくものです。それをコモンズと総称します。  たとえば、 明治時代まで村にあったため池潅漑は村長が中心になって、村がいわばコモンズとして管理していました。それは村が経済的に自立するための重要な施設でした。日本のため池潅漑はスリランカの土木的な技術とコモンズとしての管理方法を弘法大師が導入したものですが、優れた技術とコモンズとしての管理の形態をもっていました。
『協う』1998年8月号より

 
つまり、現代の企業体がコモンズ=かつて日本の村落共同体にあった“入会(いりあい)”のような、協同組織的な性格を持ちながら様々な社会的共通資本に携わってゆく、というのが、社会的共通資本の実現イメージです。自然やインフラ、医療や教育はもちろん、金融や出版、ジャーナリズムも社会の共有財産=社会的共通資本の範疇に入り、それを半社会的存在となった企業が担うという考え方は、脱金貸しの共認原理社会を考える上でもヒントになりそうです。
  
 
このように、市場原理主義に対抗しうる経済理論を構築し、その実現に向けて精力的に活動を続ける宇沢氏ですが、その根底には、「共有財産の精神に返れ」という、日本人にとっては馴染みの深い、非常に素朴な想いがあるようです。

写真はこちらからお借りしました

次回は、FRB解体を訴え、今年のアメリカ大統領選に打って出ているロン・ポール氏を取り上げます。

List    投稿者 s.tanaka | 2012-03-14 | Posted in 07.新・世界秩序とは?No Comments » 

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