2012-01-18

脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(2)カール・ポランニー


現代は市場原理に基づく経済システムが実体経済から遊離(バブル化)して、経済は崩壊の危機に陥っています。この経済システムに、過去〜現在に至るまで異議を唱えてきた経済理論家たち9人の概要を前回は紹介しました。
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(1)プロローグ
今回は自由市場経済批判の大御所と言えるカール・ポランニーの経済理論を、さらに踏み込んで紹介します。
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【人物紹介】

カール・ポランニーと当時のヨーロッパ地図
カール・ポランニー(1886〜1964年)は、ハンガリー(オーストリア=ハンガリー帝国)に生まれた経済学者です。
ポランニーの青年時代である20世紀初頭は、世界情勢が大きく動いた時代でした。欧州を中心とした覇権闘争の高まりから、1914年には世界中を巻き込んだ第一次世界大戦が勃発します。さらに1929年にはニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒とした世界恐慌が起こり、その後ハンガリー、ドイツでファシズムが台頭していきます。
国際情勢ニュースの編集者をしていたポランニーは、このファシズムの台頭により1933年に英国へ移住します。さらに1940年には米国に渡り大学で教鞭を取りますが、妻が共産主義のため米国への移住が出来ず、隣国のカナダから通うことになります。さらに晩年は、経済人類学に貢献する多くの論文を残し、生涯を終えます。ポランニーは市場拡大に翻弄された人生でした。
ポランニーは市場が社会を従属させる市場社会の問題性に焦点を当て、この社会から突出した経済を社会に再び埋め戻す方法を、これまでの社会や未開部族の非市場経済などの文明史を比較考察することで追求しています。
その経済理論のポイントを、著作の中からとくに意義深いと思われる十編を選び出して著作集としてまとめた「経済の文明史」を中心に紹介していきます。
【ポランニーの問題提起】
①市場経済の特殊性

経済システムと市場を別々に概観してみると、市場が経済生活の単なる付属物以上のものであった時代は現代以前には存在しなかった、ということがわかる。原則として、経済システムは社会システムのなかに吸収されていた。また、経済における支配的な行動原理がいかなるものであったにせよ、市場的パターンの存在が経済における行動原理と両立しないときうことはなかった。市場的パターンの基礎にある交易もしくは交換の原理が、他の領域を犠牲にして拡大する傾向はなかった。
市場経済とは、市場によってのみ制御され、規制され、方向づけられる経済システムであり、財の生産と分配の秩序はこの自己調整的なメカニズムにゆだねられる。この種の経済システムが生じるのは、人間は最大の貨幣利得を達成しようとして行動するものだ、という期待からである。この種の経済は「、ある一定の価格で可能な財(サービスを含む)の供給がその価格での需要とちょうど等しくなるような市場を前提としている。自己調整とは、すべての生産が市場での販売のためになされ、すべての所得がそうした販売から生じることを意味する。
経済の文明史(カール・ポランニー著)より引用(以下同様)

17世紀〜18世紀後半に欧州を始めとした市民革命が起こりました。また産業革命によって、多くの農民が農村から都市に流入して工場で働く賃金労働者となり市場経済が拡大していったが、資本家は労働者を安い賃金で長時間働かせたため、労働問題が深刻になっていきます。
市民革命によって成しえたはずの自由や平等が全く実現されていない市場経済の仕組みに、ポランニーは違和感を感じたと考えられます。
そのため「市場経済以前の社会では、経済は社会に包摂されており、現在のように市場が絶対視され、逆に経済が社会を包摂することはなかった。また市場経済は、市場によってのみ制御される自己調整的な経済システムであり、その仕組みによって秩序が保たれている」とポランニーは市場社会の特殊性を述べています。
②市場経済の最大の問題点

決定的なのは次の点である。すなわち、労働、土地、貨幣は、産業の基本的な要因である事、しかも、これらの要因もまた市場に組み込まれなければならない事である事実、これらの市場は、経済システムの絶対的に重要な部分を形成する。ところが、労働、土地、貨幣が、本来商品ではない事は、明白である。「売買されるものは、すべて販売の為に生産されたものでなければならない」という公準は、これら三つの要因については、絶対に妥当しないのである。つまり、商品の経験的定義によれば、これらは商品ではないのである。
第一に、労働は、生活それ自体に伴う人間活動の別名であり、その性質上、販売の為に生産されるものではなく、まったく別の理由の為に、作り出されるものである。また、その人間活動も、それを生活のその他の部分から切り離して、それだけを貯えたり、流動させたりする事は出来ないものである。
次に、土地は、自然の別名でしかなく、人間によって生産されるものではない。最後に、現実の貨幣は、購買力を示す代用物にすぎない。原則としてそれは生産されるものではなくて、金融または国家財政のメカニズムをとおして出て来るものなのである。労働、土地、貨幣は、いずれも販売の為に生産されるのではなく、これらを商品視するのは、まったくの擬制なのである。にもかかわらず、労働、土地、貨幣の市場が現実に組織されるのは、この擬制のおかげなのである。

本来市場にはそぐわない労働(人間)、土地(自然)、貨幣を擬制して商品化したことが最大の問題点であるとポランニーは考え、また市場経済(近代経済学)が絶対視されて、制度として固定されているとポランニーは捉えています。
③市場経済の弊害

現に、それら(労働、土地、貨幣)は、市場で売買されており、それらの需要と供給は、現実的な量である。そして、その様な市場の形成を妨げる措置や政策が取られると、それがいかなるものであっても、まさにそうした措置、政策がとられたという事実そのものによって、システムの自己調整は、危機に陥る。それ故、商品擬制は、社会全体に対して、もっとも重要な組織原理(多種多様な形で社会制度のほとんどすべてを左右する組織原理)を生み出すのである。すなわち、この原理は、商品擬制に沿った市場メカニズムの現実の機能を妨げる様な取り決めや行動の存在を、決して許さないのである。
ところが、労働、土地、貨幣については、その様な公準を受け入れる事は出来ない。市場メカニズムが、人間の運命と、その自然環境の、唯一の支配者となる事を許せば、いやそれどころか、購買力の量と用途の支配者になる事を許すだけでも、社会の倒壊を導くだろう。
なぜなら、商品とされる「労働力」は、この特殊な商品の担い手となった人間個人に影響を及ぼさずには、これを動かしたり、見境なく使ったり、また使わないままにしておいたりする事さえ、出来ないからである。このシステムは、一人の人間の労働力を使う時、同時に、商札に付着している一個の肉体的、心理的、道徳的実在としての「人間(そのもの)」をも意のままに使う事になるだろう。文化的制度という保護の覆いを奪われれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、滅びてしまうだろう。人間は、悪徳、倒錯、犯罪、飢餓などの形で激しい社会的混乱の犠牲となって死滅するだろう。
自然は個々の要素に還元されて、近隣や景観は駄目にされ、河川は汚染され、軍事的安全は脅かされ、食糧、原料を産み出す力は破壊されるだろう。最終的には、購買力の市場管理が、企業を周期的に倒産させる事になるだろう。というのは、企業にとって、貨幣の払底と過剰が、原始社会にとっての洪水や旱魃と同じ位の災難になるだろうからである。
たしかに、労働市場、土地市場、貨幣市場は、市場経済にとって本質的なものである事は疑いない。しかし、ビジネスの組織だけでなく、社会の人間的、自然的実体が、粗暴な擬制のシステムという「悪魔の挽臼(ひきうす)」の破壊力から保護されなければ、いかなる社会も、その様な粗暴な擬制のシステムの力に、一時たりとも耐える事は出来ないだろう。


奴隷への強制労働        環境汚染          社会の倒壊
市場経済は、その機能を妨げる制度や行動を全て排除していくため、労働、土地、貨幣といった市場にそぐわないものも例外なく商品化させ、市場経済が拡大することによって、人間は激しい社会的混乱の犠牲となって死滅し、自然は汚染が進んで生産力が破壊され、社会は倒壊するとポランニーは指摘しています。
【ポランニーの提案】
①擬制商品(労働、土地、貨幣)を市場から取り除く

すなわち今まで、封建的権力が担っていた人間の全人格的判断の支配下にあった経済を、商業的な貨幣損得勘定という手法のみで運営しようとし、経済領域内部に、全人格的な判断に基づく生産と、全人格的な判断に基づく分配を創造しようとする意志を持たなかった事が、間違いだったのである。その結果、自己調整市場にその判断を無責任にゆだねる結果となったのであって、必ずしも自己調整市場が、その様な経済領域の法政治的権力による全面統治からの脱却、分離の、唯一の必然的結果ではない。つまり、労働の商品化、土地の商品化、貨幣の商品化を止められなかったのが間違いの最大のものである。
そしてそれは、人間が商人として貨幣損得勘定に基づいて行動する事に起因する。人間の労働は、すべからく全人格的な判断に基づくものでなければいけないというのが、普遍的な真理であり、公準である。
擬制商品(労働、土地、貨幣)を市場から取り除く事は、可能であり、それは人間の意志次第である。また市場を自己調節市場(悪魔の挽臼)ではなく、秩序ある有益な分配の為の分配制度にする事も可能である。しかしそれは、貨幣損得勘定に基づいて人間が労働する限り絶対に不可能である。労働とは本来、全人格的判断のみに基づいてなされるものであり、貨幣損得勘定とは全く無関係なものである。
カール・ポランニーの経済学より引用

現在の問題が擬制商品(労働、土地、貨幣)によって引き起こされており、それを市場から取り除けば良い。とりわけ労働についていえば、各自の全人格的な判断に基づくべきであり、貨幣損得勘定に判断を委ねることは止めるべきであると、ポランニーは現在の市場経済に異議を唱えています。
②「互酬」「再分配」「交換」の三つの行動原理による統合

実在の経済が、どの様に制度化されているかの研究は、経済が統一性と安定性、すなわち諸部分の相互依存性と反復性を獲得する方法から、始められなければならない。これは統合の形態とでも呼べる様な、ごく少数のパターンの組み合わせによって達成される。それらのパターンは、経済のさまざまなレベルや部門(セクター)に並行して現われる。したがって、その中の一つを支配的なものとして選び出して、一つの全体として実在の経済を分類する事に利用しようとしても、不可能な場合が少なくない。しかしながら、経済の部分とレベルをいくつかに識別すれば、これらの統合の形態は、比較的単純な用語で、経済過程を記述する手段を与え、ひいては、際限のないほど多様な経済過程に一定程度の秩序を与えてくれるだろう。
経験的にいって、主要なパターンが、互酬と再分配と交換であるという事を、我々は見い出す。互酬とは、対称的な集団間の相対する点の間の移動を指す。再分配は、中央に向かい、そしてまたそこから出る占有の移動を表す。交換は、ここでは、市場システムのもとでの「手」の間に発生する可逆的な移動の事を言う。そこで、互酬は、対称的に配置された集団構成が背後にある事を前提とする。再分配は、何らかの程度の中心性が集団の中に存在する事に依存する。交換が統合を生み出す為には、価格決定市場というシステムを必要とする。異なる統合形態が、それぞれ一定の制度的な支持を前提とする事は明白である。

市場社会以前の経済は「互酬」、「再分配」、「交換」の三つの行動原理で運営されており、最大の貨幣利得の達成を前提とした市場統合を廃止して元に戻すべきである。互酬は義務としての贈与関係や相互扶助関係、再分配は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの払い戻し、交換は市場における財の移動を示し、各経済で運営の偏りはあるものの、この三つの行動原理で統合を生み出すことが可能であるとポランニーは考えています。
③経済統合は集団及び制度によって支えられる

そこで、互酬は、対称的に配置された集団構成が背後にある事を前提とする。再分配は、何らかの程度の中心性が集団の中に存在する事に依存する。交換が統合を生み出す為には、価格決定市場というシステムを必要とする。異なる統合形態が、それぞれ一定の制度的な支持を前提とする事は明白である。
個人間における互酬行為は、対照的な親族集団のシステムの様な、対照的に組織された構造が存在する場合のみ、経済を統合する。しかし親族システムは、個人的レベルでの単なる互酬的行為の結果としては、絶対に生じない。再分配についても同様である。それは共同体の中に分配の中心が存在する事を前提とする。だが、その様な中心の組織と有効性は、個人間に頻繁な分有行為が行なわれても、単にその結果としては生じない。最後に、市場システムについても同様の事があてはまる。個人的レベルでの交換行為が、価格を生み出すのは、それが価格決定市場というシステムのもとで、行なわれる場合のみである。この制度的組み立てが、単に任意の交換行為によって作り出される事は有り得ない。
もちろん、我々は、統合を支えるこうしたパターンが、私的、個人的な行為の外で働いている、ある神秘的な力の結果であると言おうとしているのではない。我々が主張したいのは、いかなる場合にも、個人的行為の社会的効果が、明確な制度的条件の存在によって決まるとするならば、それ故当然、これらの制度的条件は、当の私的行為の結果ではない、という事だけである。統合を支えるパターンは、表面的には、対応する種類の私的行為の集積から生じる様に見えるかも知れない。しかし、組織と効力という致命的に重要な要素を与えるのは、必ず、全く別タイプの行動なのである。

個人間における経済行動の積み重ねによって、経済が統合されるわけではない。その背後には集団(共同体)が存在し、また経済行動も制度に基づいて行われている。つまり、経済統合には集団及び制度が不可欠な条件になるとポランニーは自由市場の不十分さを指摘しています。これはつまり、アダム・スミスの「神の手」など存在しない!という反論なのかも知れません。
【今後の社会に向けて】
現代は、ポランニーの指摘通りに突出した経済(借金経済)によって経済破局は間近に迫り、さらに環境破壊、精神破壊など人類は滅亡の危機に瀕しています。
今後の人類に求められるのは、貨幣損得勘定(私益追求)の社会統合に替わる新たな統合原理の発掘です。それは現在の近代思想に代表される個人(主義)ではなく、集団(共同体)とその制度に基づく統合であることが、ポランニーの追求から見えてきます。
またポランニーが過去の経済から市場経済を分析した過程が示すように、新たな可能性を発掘していくには歴史構造を追求していく視点が有効であることを学びました。
次回は、日本人にはモモ(児童文学作品)で馴染みの深いミヒャエル・エンデを紹介します。
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆

List    投稿者 staff | 2012-01-18 | Posted in 09.反金融支配の潮流No Comments » 

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